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大阪高等裁判所 昭和61年(う)558号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人蒲田豊彦作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、大阪高等検察庁検察官検事髙橋哲夫作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意中訴訟手続の法令違反の主張について

論旨は、原審裁判所が被告人の司法警察員に対する昭和五六年六月一〇日付、同月一一日付、同月一六日付、同月一七日付及び検察官に対する同月一八日付各供述調書並びに司法警察員作成の実況見分調書(一)を原判示第一及び第二の各事実の証拠として採用したうえ右各事実の認定に供している訴訟手続につき、右各供述調書は、被告人の取調にあたった警察官が、昭和五六年六月八日から一〇日までの間、連日にわたって、任意捜査の域を超え、長時間にわたる事情聴取を被告人に強要し、この間、「弁護を引き受けてくれる弁護士などいない」、「被害者に線香をあげに行け」あるいは「自白しないと承知しない」等と脅迫を繰り返し、更に右一〇日には、被告人の足を蹴る、肩を突くあるいは頭髪を引っ張って額を机に打ちつける等の暴行を加えたために、右同日夜、被告人は遂に自白するに至り、一旦自白した後は警察官のいうがままに虚偽の供述を続け、その後、検察官の取調に先立っては、右警察官から「警察でしゃべったことと同じことを言わないと承知しない」と脅迫されたといった事情のもとに作成されたもので、いずれも任意性がなく、また、右実況見分調書は、その作成日付の一〇日後である右同年六月一一日になって、現場においてプラスチック片を発見領置した旨及び添付の図面にその地点を加筆したものでおることが明らかで、真正に作成されたものでないから、右各供述調書及び実況見分調書はいずれも証拠能力が認められないものであるのに、これを認めたうえ、証拠として採用して事実認定に供した右訴訟手続には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違反があるというものである。

そこで、所論にかんがみ、記録を精査し、当審における事実取調の結果をも併せて検討したうえ、次のとおり判断する。

原審証人A、同B及び同Cの各供述によると、昭和五六年六月一日午後九時三二分頃峰山町内において発生した本件交通事故について、右事故の加害車両は青系統の塗色のワゴンタイプのニッサンセドリックであること及び当時被告人の運転していた車両が右条件に合致するうえその前部バンバー左側部分に凹損部のあることを把握していた捜査当局は、右被告人車両の塗膜片の任意提出を求める等して捜査を進めたうえ、右同月八日午後、被告人に対して峰山警察署へ任意出頭を求めて同日午後六時ないし七時頃まで事情聴取を行ったものの、被告人の供述は否認に終始したこと、翌九日、捜査当局は午前一〇時頃から同じく任意出頭を求めて事情聴取を行ったが、前日同様否認に終始したものの、午後からは被告人の同意のもとにポリグラフによる検査を実施して被告人が本件交通事故について認識を有しているとの検査結果を得たほか、前記被告人運転車両の前部バンバー凹損部等に繊維痕が印象されていることを確認したこと、次いで同月一〇日には、午前中に前日同様出頭を求めたが仕事の都合で拒否されたのち、午後になって出頭を得て事情聴取を続けたものの依然否認に終始したため、午後九時頃、一旦否認を内容とする供述調書を作成したこと、その後、本件交通事故を被疑事実とする逮捕状の発付を得て、同日午後九時二〇分頃これを執行して被告人の弁解を聴取したところ、被告人がそれまでの供述とは一転して被疑事実を認める旨供述したので、同日午後一〇時二〇分頃までかけて、本件ひき逃げ事故の自白を内容とする供述調書を作成したこと、その後公訴提起に至るまでの間、被告人は、警察官及び検察官の取調並びに裁判官の勾留質問において、右自白を維持したこと、以上の事実を認めることができ、なお、被告人は、原審及び当審公判廷においで、この間、警察官から再三にわたる暴行脅迫を受けて自白を迫られた旨所論に副う供述をするのであるが、取調状況に関する被告人の供述は、原審第一一回公判期日において、勾留質問に際して無理に自白させられた旨訴えたがとりあってくれなかったというものであるのに、当審第二回公判期日においては、右の点に関し、無理な取調はないかと尋ねられたけれども警察官の事前の言い付けもあったので何も話さなかったというように変遷して一貫しないことからも窺えるように、虚構ないし誇張にわたる部分の存することが明らかであるから、直ちに信用することはできず、他にこれに副う証拠もないから、右暴行脅迫の事実はこれを認め得ず、その他前記認定に反する証拠はない。そして、右認定の取調経過にてらすと、被告人は取調にあたる警察官の再三にわたる自白の勧奨にも抗して否認を続けていたけれども、逮捕状の執行を受けるに及んで右否認の維持はもはや困難と感じて一転翻意して自白するに至ったもので、警察官の右自白の勧奨は、適法な取調として許容される範囲を超えるものでなく、また、再三にわたる勧奨が被告人の自白の直接の契機となったものでもないと推認できるのであり、前記証人A及び同Bの供述中被告人に対して暴行脅迫を加えたことはないとの部分は、右推認に合致するものとして信用できる(なお、「被害者に線香をあげに行け」との言辞が脅迫にあたらないことは原判示のとおり)。結局、被告人の前記各自白調書については、いずれも任意性に疑いを容れるべき事情は認められない。

次に、前記実況見分調書の存在及び原審証人Dの供述によると、右実況見分調書は昭和五六年六月一日作成とされているところ、所論指摘の現場においてプラスチック片を発見領置した旨の記載部分と添付の図面にその地点を図示する部分は、右同月一一日になって、京都府警察本部から峰山警察署に派遣されていた捜査員の指示に従って右実況見分調書の作成者である司法警察員E及び同Dによって加筆されたものと認められ、原審証人E及び同Dの各供述中右認定に反する部分は信用できない。してみると、所論指摘の部分は、一旦真正に作成された実況見分調書に一〇日も後に他からの指示によって加筆されたことが明らかであるから、その内容の真偽を問うまでもなく、刑事訴訟法三二一条三項所定の真正に作成されたとの要件を充足しないもので、証拠能力を有しないと解すべきである。原審裁判所は、右実況見分調書について何らの限定を付することなく、右三二一条三項の要件を満たすものとしてこれを証拠として採用し、原判示第一及び第二の各事実の認定に供していることが明らかなところ、本件の加筆は、右実況見分調書のその余の記載部分の意味をも変更するものではないので、加筆部分以外の部分の証拠能力に影響を及ぼさないと解され、原審の右訴訟手続には、右証拠能力がないと解すべき部分に関する限り、証拠能力のないものを証拠とした違法があるといわねばならないが、原判決がその判示第一及び第二の各事実に関して挙示する各証拠から右証拠能力を否定すべき部分を除いた証拠によっても、右各事実を優に肯認できるから、右違法は判決に影響を及ぼさないものというべきである。

以上のとおりで、所論主張の各自白調書については、その任意性に疑問の余地がないから、これを証拠とした訴訟手続に違法はなく、また、右実況見分調書については、所論指摘の加筆部分は証拠能力を否定すべきものであって、これを証拠とした訴訟手続は違法であるけれども、右違法は判決に影響を及ぼすものでないから、結局、論旨は理由がない。

控訴趣意中事実誤認の主張について

論旨は、原判示第一及び第二の各事実について、被告人は右各事実と無関係であるのに、これらを被告人が犯したとする原判決には、判決に影響することの明らかな事実誤認があるというものである。

そこで、所論にかんがみ、記録を精査し、当審における事実取調の結果をも併せて検討してみると、原判決がその判示第一及び第二の各事実に関して挙示する各証拠(但し、前述証拠能力を否定すべき部分を除く)によれば、右各事実を肯認できるのであるが、なお、所論について次のとおり判断する。

所論は、被告人の右各事実に関する自白を内容とする各供述調書の記載には内容の不自然な部分、他の証拠によって認められる事実と矛盾する部分及び内容の変遷が存するから、右各供述調書は信用できないというので、検討してみると、先づ、被告人がF方を出発してから本件事故現場を通りかかるまでの経路について、被告人は当初焼肉店甲野に立ち寄るつもりでバイパスに出たけれども途中借金のあることを思い出したため同店前を通過することをも回避して同店手前で右折して狭い町道を通って府道間人大宮線に出て本件事故現場に至った旨の記載は著しく不自然であって、焼肉屋甲野へ立ち寄るのを断念したとしても同店前を通過することには何の支障もないから、そのままバイパスを直進するのが人間の自然な行動であるというのであるが、借金のある店の前を自動車で通過することをも回避するというのは、論理的ではないけれども、人間の心理の展開としては生じ得ることであって、いずれの経路を採っても距離及び所要時間に決定的な差の認められない本件にあっては、あながち不自然と断ずべきでなく、次に、右町道から府道間人大宮線に出るにあたり、一旦停止後左折発進して変速器を操作しつつ自動車備付のライターでタバコに着火し、事故現場まで約一〇〇メートルの間に時速五〇ないし六〇キロメートルに加速した旨の記載は果たして右記載のとおり操作し行動することが可能であるか疑問であるというのであるが、発進後約一〇〇メートルの距離を走行する間に変速器をセコンドまで操作し(この点に関する記載内容の変遷については後述する)かつタバコに着火しつつ、アクセルを踏み込んでゆくことは十分に可能であり(右記載中時速五〇ないし六〇キロメートルに達していたとの部分及び原審証人Gの供述中これと同旨の部分は信用性に疑問があるが、右証人及び原審証人H子の供述中加害車両のエンジン音が大きかったとの部分は、右のような運転操作に符合するものである。)、更には、右町道から府道へ左折進入して来た旨の記載は原審証人G、同H子及び同Iの各供述中加害車両は右町道と府道の三又路より南方から直進して来たように思うとの部分と矛盾するというのであるが、右各供述はいずれも断定的なものでないうえ事故発生前の自動車の走行というありふれた事象についてしかも夜間における認識を述べるものであるからそれらの信用性は大いに疑問であって、右所論主張の点は、いずれも、被告人の各自白調書の信用性を否定すべき事情にあたらない。なお、焼肉屋甲野の前を通過することを回避して町道へ右折した経緯及び町道から府道へ左折発進後の変速器の操作について、被告人の司法警察員に対する昭和五六年六月一〇日付供述調書と同月一一日付供述調書の各記載の間に変遷のみられることは所論指摘のとおりであるが、右六月一〇日付供述調書は、訴訟手続の法令違反の控訴趣意に対する判断において先に認定のとおり、同日午後九時二〇分頃逮捕状執行後、被告人が一転自白するに至ったため急遽作成されたものであって、被告人が本件交通事故を引き起したという結論的事実の録取記載に重点が置かれ、その内容の仔細について関係証拠と対照して十分な吟味を経たとはいい難い面を否定できないから、右同月一一日付供述調書の記載内容と一致しない点のあるのはやむを得ず、不一致の点については右一一日付供述調書の記載に信用性を認めるべきである。

次に、所論は、原判決が証拠の標目に挙示している黒色ようプラスチック片は被告人運転車両の前部バンパー裏側に取り付けられているホーンの一部分であることが明らかであるところ、右プラスチック片は本件事故直後に現場で採取されたものとは認められず、事後に捜査当局によって作出された可能性が大きいというのであるが、原審証人Jの供述によれば、右プラスチック片は本件事故直後の実況見分の際現場において採取されたものと認められる。尤も所論指摘のとおり右プラスチック片の領置調書の作成等領置手続については、不明確で杜撰な点のあることは否めないが、領置調書は、証拠物を獲得する手続の適法性を担保すると共に、犯罪事実の立証との関係では事件と証拠物との関連性を定型的に明らかにする機能を果すものであるところ、本件では右認定のとおり、違法に収集されたものとまでは認められないうえ右関連性を明らかにするにあたり他の証拠方法によることを排斥するものでもないから、右領置手続の瑕疵はプラスチック片の本件との関連性を肯定する妨げとならない。又、右プラスチック片とホーンの欠損部分の照合のため立会いを求められた際、既にバンパー付着の泥に剥落した部分があったから、右バンパーは一旦取り外された後再度取り付けられていた可能性があるとの被告人の原審公判廷における供述も、右欠損場所は、種々の角度から多数の者によって検索して難渋の末発見したとの原審証人Kの供述にてらすと、右認定を動かすに足るものでなく、右所論は採用の限りでない。

更に、所論は、L作成の昭和五六年一二月一八日付鑑定書の記載によると、被告人運転の車両に印象された繊維痕は被害者の着衣によって印象されたというのであるが、そのうち、左フェンダーフラッシヤーランプのケース上面の繊維痕は被害者のスポーツシャツによって印象されたものとする点について、右スポーツシャツは被害者がジャンパーの下に着用していたこと及び前同人作成の前同年一〇月七日付鑑定書に、右スポーツシャツには血痕と嘔吐物の外には本件を窺わせる痕跡が認められないとあることと相い容れないものであって、右一二月一八日付鑑定書は信用できないというのであるが、被害者がスポーツシャツをジャンパーの下に着用していたことは所論のとおりであるけれども、被告人運転車両の前部バンパーが被害者に衝突した際ジャンパーがめくれ上っていてスポーツシャツの繊維痕がフラッシャーランプのケース上面に印象される可能性は否定できず、右印象された部位と被告人の司法警察員に対する昭和五六年六月一一日付供述調書によって認められる、衝突の瞬間ブレーキ操作の余裕はなく、右転把するのが精一杯であったとの運転操作は右可能性を一層現実化するものであり、右スポーツシャツに本件衝突を窺わせる痕跡が存しないとの点は、時間の経過によって痕跡は消失するとの当審証人Lの供述にてらすと右一二月一八日付鑑定書の記載と相い容れないものでなく、右所論もまた採用できない。

その他所論が、原判示第一及び第二の各事実に関し、その事実認定を種々論難する点を検討してみても、採るに足るべき点は存しない。

よって、論旨は理由がない。

控訴趣意中法令適用の誤りの主張について

論旨は、原判示第三の事実について、被告人が自動車をその本来の用法に従い使用した現場は私設の駐車場であって、道路交通法二条一項一号にいう道路に該当しないのにこれを道路であるとして、被告人の右所為が同法二条一項一七号にいう運転にあたるとしたうえ、同法一一七条の二第一号、六五条一項を適用した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがあるというものと解せられるが、所論にかんがみ、記録を精査して検討してみると、右現場が道路交通法二条一項一号にいう道路に該当することは、原判決が理由中において適切に説示するとおりであり、従って被告人の右所為は運転に該当し、これに対し同法一一七条の二第一号、六五条一項を適用した原判決には法令適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用を被告人に負担させることにつき同法一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山中孝茂 裁判官 野間洋之助 島敏男)

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